聖母の騎士 あの日の1コマ Vol.47 ゼノ修道士の新聞叙階


 「アリの町に十字架ゼノ神父も一役」、昭和25年の11月のある日、朝日新聞の夕刊にこんな見出しで小さな記事が載りました。内容はごく単純なもので、東京浅草の隅田川のほとりに通称アリの町というバタヤ部落がある。そこに住んでいる人たちは一人残らずバタヤだが、アリのように団結して働いている。今度、アリの町の中央に教会を建てることになり、それを耳にしたゼノ修道士が協力を申し出て、建築材料を提供することになった、というものでした。しかしこの小さな記事が思いがけない問題を引き起こしてしまいました。

 「叙階していない修道士が神父とは何事か!」、「勝手にバタヤ部落に教会を建てるとはけしからん!」このような非難が外部から起こり、上長もゼノ修道士も困ってしまいました。そこでアリの町の人たちとゼノ修道士は東京大司教区を統括する土井大司教様の所へこのことについて釈明をしに行くことになりました。

 東京大司教館につくと受付の方がすぐに大司教様に取り次いでくれ、早々に面会に漕ぎつけることができました。アリの町の人たちが、この記事についてゼノ修道士には他意がないと弁明するのを土井大司教様は熱心に耳を傾けて聞いていました。そしてすべてを了解した大司教様はゼノ修道士に顔を向けて「ゼノ神父様……」と呼びかけました。ゼノ修道士は身震いして「おお、大司教様、私神父様 ないです 私……」と答えると、大司教様はニッコリ笑って言いました。「あなたは神父と呼ばれるにふさわしい方です。あなたが今までなさってきたこと、今なさっていることは立派なことです。どうか心配しないでこれからも続けてください。」

 ゼノ修道士は「目から雨」が止まらず、生涯忘れることのできない日となりました。

※バタヤ:廃品回収業者のこと。街を歩いて紙屑、金物などを拾い集め、二次業者に売って日々の収入を得ていました。彼らが公有地などにバラック小屋を建てて集まって住み着いている所をバタヤ部落と呼んでいました。

聖母の騎士 2025年5月号より掲載

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