アッシジのフランシスコが大切にしていた生き方こそ、コンベンツアル聖フランシスコ修道会の霊性であると言えます。
【償いに生きる】
フランシスコは自らの生き方を「福音に生きる」ことであるとし、その出発点を償いに生きることにことであるとしました。それは、自らを忘れて神の国の到来とその実現を求める福音的メタノイアです。すなわち、神に対しての徹底的な回心です。償いに生きようとする者は、神の国の実現のためにまったく神のものとなり、自我を求めようとする心から離脱し、 自らの中に神のためのあますところのない場を備えます。
【小さき者として生きる】
償いのうちに生きようとしたフランシスコは、小さき者として生きることを選びます。このような生き方を選ばせたものは、人間の救いのために自ら人間となったという神のへりくだりでした。フランシスコは自らをすべての人の中の最後の者であると自覚して謙り、地位も名誉も求めず、社会の底辺に生きる人、 貧しい人の間で生きることを望み、会員にもそれを求めました。
【兄弟として生きる】
小さき者の生き方は兄弟ととして生きることでなければならない、とフランシスコは考えます。父である神ものもとにおいてすべての人間は兄弟です。この兄弟の絆は小さき者として生きる人々(小さき兄弟)の間ではより強いものとなります。謙って小さき者として生きる時、兄弟としての生活も実現します。
【貧しく生きる】
フランシスコは償いの生活を徹底的な貧しさをもって始めました。かれにとって貧しさは、何も自分のものにしないという自発的貧しさを意味していました。この貧しさは、物における貧しさだけを指すのではなく、それ以上に霊における貧しさ、 すなわち、謙虚、小さき者としての生き方を意味します。
【教会への忠誠に生きる】
新しい生き方を始めた時から、フランシスコは償いの生活を教会への忠誠のうちに行ないました。かれは神から直接に呼ばれ、世に遣わされていると感じていましたが、この使命を果たすためには教会の認可と派遣が必要であると考え、 教会に生活様式の認可と世の人々に神のことばと回心を告げる許しを求めたのです。
【平和を求め、自然をいとおしむ】
フランシスコが大切にしたものに、平和への願いと自然への慈しみがあります。かれは、常に人々の中での平和を求め、それを推進するよう努めました。また、自然界を神の人類への賜物と見做し、兄弟・姉妹と呼んで、大事に取り扱っています。世界の平和が脅かされ、快適な生活を口実に環境破壊が進んでいる現代、 平和と自然に対するフランシスコの考えと行動は大きな意義を持っています。
【共同体】
コンベンツアル聖フランシスコ修道会は、伝統的に共同体を特に大事にしています。生活も活動も個人中心ではなく、個人を尊重しながらも、常に共同体として行なっています。