1924年の5月、ゼノ修道士はポーランドのグロドノにある修道院の門を叩き、志願期を開始しました。しかし実際の修道院の生活は思い描いていたものとは異なっていました。
「わたし毎日……ストーフそうじ これ焚くですから 床そうじ いつでもこれ。……修道院はいってト毎日祈り よい生活する。これわたし望みあったでしょう……このとき いつでも そうじばかり。わたし世間にいたト自由。たべもの何でも。これですから わたし とでも苦しみありました。わたし おこったですから 夜、ねむりません。」
ほどなくしてゼノ修道士は修道院の生活に我慢の限界を感じ、修道院院長のコルベ神父様のもとに行きました。
「トントントン!これ叩いたです。コルベ神父さまドア、誰でもいつでもはいっていいです。これ書いた紙ありました。『アア、あなた まだおきていましたか』 『神父さま!わたし うち帰ります。わたし女中ないです!これト修道院来ません』 『どうぞ、こちら、おはいりなさい』 コルベ神父さま 夜おそく まだ原稿書いたですから、これしずかに言って 部屋なか はいりました。」
ゼノ修道士は、コルベ神父様の部屋に行き、修道院から出ていくことを伝えたことまでは、このように回想し語ることができたのですが、この後、コルベ神父様から何を言われたのかについては語る言葉を持っていませんでした。 もしかしたらゼノ修道士の心に深く響いたのは、言葉ではなくコルベ神父様の微笑みや、その態度だったのかもしれません。
一つ確かに言えることは、この時のコルベ神父様との対話の中で、今まで何十もの職業を転々としてきたゼノ修道士が生涯心を落ち着かせる場所を見い出したということです。もっとも心は落ち着いても、体の方は晩年まで落ち着くことなく、あちこちを飛び回ることになるのですが…。
聖母の騎士 2025年2月号より掲載